思えばドラゴンボールの悟空も、地球や宇宙の危機を何度も救っても、
もっと強い相手と闘いたい、
もっと強くなりたい、
という気持ちが最優先で、
なんならもっと強い相手と闘うために周りに危険を及ぼす可能性が高い行為もやってたりね。
地球を襲撃したベジータを見逃したりね。
魔人ブウから地球を救ったのもミスターサタンだし、
最後は家族や仲間を放ったらかしにしてウーブと修行の旅に出てしまうし。
悟空はいいやつではあるんだけど、
人にどう思われるかとか、
どう思われたいとか、
なんなら人間関係すら無頓着で、
現代社会の大きなテーマになってしまった承認欲求とは無縁すぎる人物像になっている。
だからってわけではないのだろうけど、いまは悟空のようなヒーロー像は稀な気がする。
どちらかといえばNARUTOのように、周りに認められることが大きなテーマだったり、
呪術廻戦のように大きな戦いの中で自分が何をできるか考えて立ち回ったり、
そういう作品のほうが自然に受け入れられる気がする。
世界が滅ぶ瀬戸際なのに、サイヤ人の誇りで一対一にこだわったり、
『北斗神拳に2対1の闘いはない』とか言い出したら
読者が怒り出しそうなのが今の世の中なのかもしれないw
それで今ふと思ったのが、五条悟の最後が俺はわりと好きなんだよな。
周りと連携とったほうが、もしかしたら勝率はあがったかもだけど
自分の好きなように
自分の力をフルに使って宿儺と戦って負けたけどわりと満足という自分勝手さ。
あの戦いは宿儺のほうが勝ちに拘ってて、
五条はもちろん勝ちを目指すけど
自分のフルパワーをぶつけて宿儺の強さを知りたいという気持ちが出てしまっていたような気がする。
話を北斗に戻すと、ケンシロウは救世主ではあるんだけど、
どうすれば今後世の中が良くなるかとか、人はどう生きるべきかとかは深く考えてなくて、
どうしようもない悪党は北斗神拳で倒すけど、それ以上の事は何もしませんというスタンス。
なんなら自分を慕う人間であるリンバットマミアも置き去りにして、
アテもなく旅立ってしまう身勝手さ。
みんなで幸せになろうとか、世の中を良い方向に導こうとか、
たぶんケンシロウは考えてない。
悪い奴いる→俺が倒す→あとは知らん
これが北斗神拳の真髄なのかもしれん。
これを無理矢理スロットに例えると、
台がある→俺が出す→あとは知らん
これがスロットの真髄だ。
だからそれこそ
Xなどで多くの人に見てもらったり、自分がいかに凄いかを見せたり、なんなら知識を伝授したり、勝ち方を説くみたいなのは、
俺にとってはあんまり興味がないのだが、
たぶんそういう事をする人間のほうが
自然で人間らしいのだろうと思う。
だってケンシロウとか悟空のような思考の人間がいたら
わりと迷惑なサイコパスにしかならんと思う。
ただそれでもね、俺としてはね。
承認欲求などとは無縁で、常連ではあるけど正体不明で話しかけても多くは語らず、
何故かいつもホールで爆出ししている謎のおじいちゃんやおばちゃんに憧れてしまうのだよね。
現在の谷村ひ〇しのような存在に。